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2007年08月06日(月曜日)

湯沢七夕絵どうろう
投稿者: hiroshi-g (8:24 pm)

七夕絵どうろうの由来
「家々ごとに大きな孟宗竹をたて、これに五色の短冊や折り紙、紙細工、くす玉など工夫をこらしたものを下げ、夜は趣向をこらした提灯や美人画を中心に、大小さまざまな絵どうろうを吊って夏を飾ります。

この七夕絵どうろうまつりは、湯沢城主佐竹南家七代佐竹義安公の奥方(関白鷹司兼煕(かねひろ)の姫)が若くして京の地から遠く離れたひなびた田舎町である湯沢に嫁いできたのは、元禄15年(1702年)8月28日のことでした。

にぎやかな京都にくらべれば、これといった楽しみもなく、そんな姫の心情を思いやってみやびやかな京の風を移した孟蘭盆の行事として行われ、今日に続くものであると伝えられています。

なお、鷹司家は五摂家の一つで、このような高貴な殿上人が地方藩主の士族である武将に輿入れするなどということは、当時としては全く考えられない異例のことであり、そのため、姫君はいったん鷹司家の諸大夫牧宮権太輔義広の養女となり嫁入りしました。

また、江戸相撲が湯沢に巡業した時、この奥方(京都御輿様と愛称された)が格式ある御簾(みす)をかかげ、七本槍を立てて見物したところ、力士は南家の家柄に驚いて、ただちに高家御覧の式にしたがって締め込みを直して相撲をとったといわれ、家臣も一般見物人も佐竹南家の家柄の威力を今さらのように驚いたともいわれています。
   ~東北再発見より














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